番外編 その3(US-2にいつ乗るの?今でしょ!)は
海難事故に遭われた辛抱さんを救出した「US−2」について解説しています。
その記事にコメントを頂いき、そこで紹介を頂いた書籍が「奇蹟の飛行艇」でした。
(miki178さん、よい本を紹介していただきありがとうございました)
そしてこれ読了した今回、皆さんにどのような飛行艇であったのかを
知って頂きたく、
「九七式飛行艇にいつ乗るの?今でしょ!」をお送りします。
ですので今回の主な資料は
北出大太氏の著書「奇蹟の飛行艇」からです。
[LINK] (禺画像])
- クリックすると書籍の大まかなストーリーを画像で確認できます−
この著書は昭和43年に第1刷が発行され、私がAmazonで手に入れた著書は
第17刷(昭和54年)でした。現在では発行元が同じ光人社から
新装版 (2004/12)も発売されいるようです。
この本の中で「勇者の記録」を残していく北出大太(きたいで だいた)氏は
6種類の水上機や飛行艇に乗っています。
読み進んでいく順番で言えば、潜水艦用の零式小型水上機、二式飛行艇(四発)
水上練習機(海軍陸上初歩練習機)、九十式水上偵察機、九一式飛行艇(双発)
そして奇蹟の飛行艇となる4つのエンジンを搭載した九七式飛行艇(四発)です。
・零式小型水上機[LINK] 試作の高性能水上機、晴嵐のパイロット訓練で使用された際 搭乗員からは「オモチャみたいな飛行機で訓練するのか」と不満が出たそうです。 確かにWikipediaで確認できる写真はデパートの屋上(古い話ですが)で乗れたような 姿形でした。 ・二式飛行艇(四発)[LINK] Wikipediaのほかに、艦これ界の博識閣下、愛宕提督によって取り上げられています 二式飛行艇や飛行艇飛行艇母艦『秋津洲』の記事[LINK]もぜひご覧ください。 ・九十式水上偵察機(一号<愛知航空機>・二号<中島飛行機>) 巡洋艦のカタパルトから射出されることを前提とした十五式水上機の後継機。 外国の機体を参考にしたものと製造権を取得したものとで競作された。 九一式飛行艇(双発)[LINK] 1930年台に輸送飛行や沿岸の哨戒に運用された。 |
北出(きたいで)氏が最初に川西航空機が製造した偵察機および雷撃としての
九七式飛行艇に搭乗したのが昭和14年(1939年)のことでした。
この飛行艇での最初の目標がなんと「山城および金剛」への「魚雷投下」になります。
魚雷は本物です(演習用に調整済み)読みながら無用にハラハラしました。
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