標的艦の摂津は艦娘になれるか?
2014-06-22


金剛より2歳年上で、
東郷平八郎の指示により30センチ砲連装6基12門を装備した
当時の戦艦だった「摂津」は艦隊これくしょんでも艦娘になれるか?を考えて見ます。

調査元・Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5_%28%E6%A8%99%E7%9A%84%E8%89%A6%29

まず、この攝津「主砲を亀甲型に配置」したために主砲の能力を充分に活かせず実戦向きではなくなった為、
1923年10月1日のワシントン海軍軍縮条約の時に戦艦陸奥の代わりに退役しました。

その後、ドイツの無線操舵技術などの導入検討などもあって
標的艦・摂津として第二次世界大戦前から訓練用の軍艦として
活躍を始めます。大戦初期の戦果向上の一助となった裏方です。

その活用のされ方は読んでみると割りと尋常ではなく、

「10キロ演習爆弾の高度6000メートルからの投下、30キロ演習爆弾の高度4000メートルからの投下、射距離22000メートルからの20センチ演習砲による砲撃、射距離5000メートルからの5センチ演習砲による砲撃」
これらに耐えられるように側装甲を取り付けられてます
演習用とは言えど、本気でやっても大丈夫な艦。元戦艦・・・

戦後アレに使われた長門に近いものを感じます・・・。

「航空機部隊の練度」や「艦長の操艦技術向上」となっていますので、
標的になる軍艦に乗って操艦して経験を積めるという・・・今考えてもかなり「躍起」な活躍をしていたように思います。

そしてこの操艦訓練から「松田千秋」なる人物が登場し、
この人がまとめた「航空攻撃回避術」は、
後の激しい米軍機の攻撃から、指揮下の「日向」「伊勢」を無事生還させるまでの功績や、
完全に制海権を失った戦争末期に同艦隊に大量の物資を積載しての、シンガポールから本土への輸送作戦、北号作戦を成功させるなど、
多大な貢献を生み出してくれた人を生み出せるまでの艦となりました。
このことから標的艦・攝津は、艦娘となれるだけの実績は充分にあり
それは明石や間宮のような位置に収まる可能性や、
キラキラ、キラ付けの一助となるような役割、
最近になって兵装に「熟練」なども付くようになったことから
「兵装のクラスチェンジいたします」的な役目を果たせる特務艦としての 登場も期待できると思います。

では最後に、摂津に寄せられる期待感をご覧ください(笑)

艦これ漫画「摂津A」 by だっしょん on pixiv



戦艦 摂津 by jakee.sgn on pixiv


戦艦摂津は、帝国海軍が第一次大戦前に竣工させた最初で最後の弩級戦艦である河内型の2番艦です。
八八艦隊構想の先駆けとなる1907年の海軍拡張計画に基づき建造されました。
八八艦隊構想は、当時日本にとって脅威であった中国・ロシア・アメリカへの対抗策として練られたものです。
しかし完成は世界的な不況の影響により、大きく遅れることとなりました。
主砲の305mm砲はイギリス製ですが、18640kWを生み出すエンジンはブラウンーカーティスタービンエンジンは川崎重工のライセンスで製造されました。
ただ、装備された主砲は強度不足で、通常時でさえ砲身が垂れ下がり、
砲撃時には大きくぶれ命中精度を低くするなど欠陥が あったようです。
1912年7月、戦艦摂津は第一次世界大戦へ参戦。南シナ海や黄海における日本のシーレーン警戒任務を担いました。
また青島における戦いにも参加しています。


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[〜艦これ〜 編成企画]

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